暮らしのエッセイ

お風呂とひとり旅は似ている

 

お風呂が苦手だ。

いや、正しくは長風呂が苦手。

1時間?むりむり。そんなに長く入れない。脱いでからお風呂に浸かり、また着替え終わるまで15分ぐらい。

友達とその話をしてたら、どうやら短いらしい。

みんな1時間とか入るんだって。長い。そういえば妹もそのぐらいお風呂にはいっている時があるな。

お風呂につかれば「ああ、気持ちいな」とは思うけど、湯船に浸かってぼーっとすることが苦手なのだ。

それでも「8分間ほど浸からないと身体が温まらないらしいよ」ときいたので、時間を測って湯船に浸かってみる。

まだかな、
まだかな、、

と時計を見て8分が永遠のように長く感じる。

ふと、そのとき、ある感覚を思い出した。ひとり旅だ。

ひとり旅とお風呂は似ている

春に、ひとり旅で仙台に行った。

楽しかったけど、同時にモヤモヤも発生した旅立った。というのもさ、ひとり旅ってってずっと無言なんですね。

この牛タン美味しいな、綺麗な景色だな、ここに家族も連れてきたいな、素敵なタクシーの運転手さんだな

全部、心の声を外に出せない。独り占め。

自分の中で発生して、自分の中で完結。

それがわたしは、辛かった。話したくなった。喋りたくなった。

声を発したいあまりカラオケにも行ったぐらい。仙台でわざわざカラオケ。歌ったらすっきりした。

無言でいるってつらい。

次から次へと自分の中でいろんな感情が消えて、自分の心の中にポーンと落ちている。

誰も拾わない。自分の中で後から拾って、場所を移動したりもするけど、その場ではどんどん木の実みたいに地面にポーンとたくさん感情が落ちまくるのであった。

 

自分と向き合うってこういうことか

 

ということを、その春の一人旅で発見した。
わたしは、兄弟も多かったし、習い事もしていたし、ひとりでいる時間が小さい時から圧倒的に少ない。

もしかしたら、自分の心の声とあまり向き合うのが嫌というか、逃げていたのかもしれない。ってことに気づいた。

孤独

前言撤回。長風呂が苦手なんかじゃない。

自分と向き合うのが苦手なのだ。自分と一緒にいるのがまだまだ苦手なようだ。

日常では忙しかったり、なにか手を動かしていたり、ネットをみたりとひとりでもぼーっとひとりで自分の中で発生する感情を自分で細かく拾ったりしない。

でも、お風呂とひとり旅は、そんな自分の中で発生して地面に落ちまくるどんぐりみたいな感情たちを、自分で拾わないといけない空間なのかもしれない。

落ちてくるのか湧いてくるのかわからない感情は、とても私を不安にさせる。

なのでわたしはそのどんぐりたちをあまり拾いたくなくて、ひとりで自分の声と向き合うのが嫌なのかもしれない。

 

糸井重里さんがTwitterで自身の本の一部をシェアしてた言葉

思えば孤独は美しい。孤独とじっと向き合った人だけが、本人なのである。

 

また、私の好きな坂本真綾は『孤独』という曲の中でこう唄っている

胸をしばりつける 余計なこんな感情から 自由になれればいいのに

 

大好きな谷川俊太郎さんの本『二十億光年の孤独』でも

宇宙はどんどん膨らんでいく それ故みんなは不安である

 

自分と向き合った人だけが、自分の中の不安をなくすことができて

不安があるから、みんな孤独が嫌いで

でも孤独が私をつくっていて

だからこそ、わたしはもっと自分の孤独を拾い続けないといけないのかもしれない。

読んで欲しい本とか

何度も読んでいるマイフェイバリットブック

お守りみたいなアルバム『DIVE』

読みたくなった