暮らしのエッセイ

3時間かけて書いた手紙、字との葛藤

3時間かけて書いた手紙を出そうか悩んでいる。
たぶん出すけど、これでいいものかと悩んでいる。

きちんとした手紙を書いたのはいつだったか思い出せないほど久しぶりに手紙を書いた。

メールならこんなに悩まなかったかもしれない。
でも手紙だと、出すかどうかすごく悩む。

というのも、手紙ってずっと残ってしまう気がするからだ。
相手の手元に残ってしまう。
1と0で組み合わされたものではなく、実物として手元に届く。

もしかして万が一にも相手が天下統一なんかしちゃったら、100年後に「○○がもらった手紙公開」なんていう展示会の一部に私の手紙が残ってしまうかもしれない。

死ぬまで保管してくれていたら、遺品整理の時に相手の子供にまで私の書いた手紙を読まれてしまうかもしれない。

そう思うと気が気でないのである。

というのは半分冗談なんだけど、一番の理由は「字」である。

 

わたしは字が下手だ。可愛い字はかけるのだが、達筆の字が書けない。

達筆の字を書こうとすると途端にすべてのバランスを失い、自分の字が大嫌いになる。

「字がかわいいね」と言われたことはあるけども「字がきれいだね」と言われたことはない。

でも、特に問題もなく生きてこれたし「字が汚い」とは言われたことがなかったので、特に気にしていなかった。

しかし、今年。
はじめて他人から字について厳しく指摘される機会があった。
とても落ち込んで、少し泣いた。涙で手紙がかけそうなぐらい泣いた。

そういえば両親に「字を綺麗に書きなさい」と言われた記憶も蘇った。
でも、自分の字を綺麗にしようなんて思ったことがなかった。だって、字が綺麗なことが素敵なことだって思ったこともなかったから。

しかし、そのことをきっかけに「綺麗な字をかけるようになったらいいのかも」と思うようになった。
そして次第に字が綺麗なことは素敵なことなんだと思うようになった。

そうなってくると自分の字にどんどん自信がなくなってくる。
だいすきな作家さんに手紙を書こうにも、清書までしても自分の字が綺麗じゃないことに恥ずかしくなって送るのをやめた。

今回も3時間かけて書いた手紙を送ろうか悩むのはそのせいだ。
字が綺麗じゃない。
綺麗に書こうとすると変な字になるので、自分の持っていた「かわいい」ほうの字で書いた。

でも、字が綺麗じゃなくてかわいい字だとなんだかアホそうに見えるなぁと思ってくる。
かといって、達筆に書こうにも練習してないので小学生が書いたよりも汚い字になってしまう。

これじゃダメだとおもい、美文字レッスン帳を買って字の練習もしている。
が、もともと字を書く事が嫌いなので、レッスン帳に向かい合うだけでものすごくしんどい。

綺麗な字を書こうとすればするほどしんどい気持ちになった。
なぞるだけでいい部分も、うまくなぞれない。自分の癖が出てしまう。
癖というか「綺麗に書いてたまるもんか!」という一種の頑固さが出ているように感じた。

自分の字を矯正することが「今までの自分を否定すること」だと思ってしまっているのだろうか
自分の字がもうかわいいと言われなくなるのが嫌なのだろうか。

そんなことを考えた。

26年間この字で生きてきたのに、それを綺麗にするなんて
いままで書いてきた字がダメだったみたいじゃないかと少し怒っている自分がいることに気がついた。

アホである。
自分が肯定できてないだけなのだ。
それだけなのに、新しく自分の何かを変えることが怖いような気がした。

それなら諦めて自分の今までの字でいいじゃない!
って思うこともできるけど、なんか「綺麗な字っていいね」と思ってしまっているのでここで辞めることはできない。

なので少しずつ練習していくしかないのである。

この辛さはきっと自己否定から来ているんだろうなと思ったので「字を綺麗にするという意識は一度捨ててみる」と少しだけ気持ちが楽になった。別に私の字がダメだったわけではないのよ、と自分に言い聞かせる。

もっと自分を好きになるための練習なのよ、と。

そうやって言い聞かせながら、字を綺麗にしていこうと思った。

うまくいくだろうか。

そして、手紙は出すと思う。
まだ綺麗な字はかけないけど、もしかしたら可愛い字をみて懐かしさを感じてくれるかも知れないし。
と、前向きに考えることにした。

少しずつ練習していつか、展示会に出しても恥ずかしくない綺麗な字をかけるようになりたいと思う。
がんばろ。