暮らしのエッセイ

楽しんではいけないという呪いからの開放

楽しんではいけないんだ。

思春期を迎えるころから私のなかにある呪いのような思い。

それは20歳をすぎても続いて、テーマパークに行っても、映画を見ても、友達と遊んでも。

そのときは楽しんでいるはずなんだけど一人になると「これって本当に楽しいのかな?無駄なんじゃないか?」という思いが湧き上がる時があった。

楽しいことは無駄なこと

むかしから頑張ること=我慢してひたすらに努力することだと思い込んでいた。

楽しいことは無駄なこととどこかで思っていた。私がやるべきことは夢に向かって頑張ることで、無駄はできるだけ嫌だと思っていた。無駄なことにお金をかけたくないとも思った。

そんな感じで20歳すぎまで生きていたら身体を壊して、気持ち的に辛くなり、とても立ち直れそうにないところまで落ちていってしまった。

そんなとき師匠(と勝手に呼んでいる)と出会う。

師匠は笑顔で「アホか!楽しいことせえ」とコテコテの関西弁で言ってくれた。

他の人に言われてもぜったいに耳を貸さなかっただろうと思う。

しかし、師匠のことはグーの根も出ないほど尊敬している。そして、楽しくて面白い。

そんな人がいうんだから、楽しいことをやってみることにした。

楽しいことって何だろう

そのときは自分のことを口にしようものなら涙がでてうまく話せないぐらいの精神状態でした。

とてもじゃないけど楽しいことなんて思いつかない。嫌なことばっかり心に浮かんでは消え、消えては浮かんできた。

最初は楽しいことなんて思いつかなかった。みんなが楽しそうにしていることも「でも、わたしは楽しめないかもしれない」と不安になる。楽しめなかったら無駄になってしまうとも思った。

それでも、ひとつずつ玉ねぎの皮をはぐように2~3年かけて、心を緩めていった。

「楽しいことをしている自分」に許可を出していった。

そうだ、いままでわたしは自分に「楽しいことをしてもいい」と許可を出していなかったんだと気づく。

楽しいことをしては自分で自分に「なんでそんなことしてるの?」と怒っていたのかもしれない。

緩めていくと、本来の「なんでも楽しかったころのわたし」が顔を出してきた。

鉛筆が転がっただけで笑えるような、ちょっとした顔が面白くって爆笑するようなそんな意味もなく無駄な笑いがたくさん増えていった。

楽しいことたくさん

そして、10月。

ほとんどの休日を遊びに当ててみた。

岩手旅行、ビーチバレー大会、ディズニーシー、ワンピース歌舞伎、ハガレン展

まだまだ「楽しめるか不安」な私が少しだけ顔を出してきたが、実際に遊びまくってみて
やっと心から「私って楽しんでいいんだ!!!」と本気で思うことができた。

もちろん油断をすればこんなことが将来役に立つのだろうかとアホみたいな考えが浮かんでくるのだが。

でも、誰がなんと言おうと今回は全部楽しめた。

やっとわたしも楽しめるようになったんだと嬉しくなった。

呪いからの開放である。

死にかけた心に楽しいというお水を与え続けたおかげだと思う。

でも、やっぱり気を抜くと癖のように、我慢しようとしてしまう。
それを自分で観察して「アホか!楽しいことせえ」と何度でも言ってあげようと思う。

楽しいこと、やってもいんだよ!そんな風に自分に呼びかけると

「やった!」

となんでもないことが楽しい自分が返事をしてくれている気がする。